現代社会に求められる力は「鈍感力」である

 

最近のビジネス書は過激な内容が多い気がする。

 

自分が好きだと思ったっことに熱狂し、狂ったように取り組めとか、これからはAI社会だから

オンリーワンのスキルを持っていないとダメだとか、、、

 

そんなこと言われても、好きなこともハマっていることもない人のほうが多いし、

無理して探すこともとても難しい気がする、、、、

 

 

僕は無理して好きなことやオンリーワンのスキルは身につけなくてもいいとも思います

  オンリーワンのスキルなんて身につけようと思って身につくものじゃない。

 

 

自分のペースで、あ、これなんか興味わいたなってことをのんびりと無理のない程度でやればいい

 

 

なんとかなる この精神は大事だと思う、楽観的

 

 

人は危機感を感じると行動するようにできてるから、メディアの露出が強い人はわざと危機感を

煽って、自分の商売をうまくさせようとしているのかもしれないし。

 

 

意識高い系の方のツイートや高圧的なビジネス書からの刺激にさらされても、そんなこと

しなくても生きていけるしなんとかなるでしょうという考えは、オープンな社会になった今こそ

重要なのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

お金自体に価値はない

 

僕はお金には価値はないと思っています。なぜならただの紙切れだからです。

まだお金のない時代の人が100万円札と、牛1頭を選べと言われたら間違いなく牛1頭を選ぶでしょう

 

 

本質的な価値はありません。 人がその紙には価値があると信じ込んでいるからお金には価値があると感じるのだと思います。

 

しかし、お金派モノをこうかんする手段でしかなく、モノの価値を示す情報にすぎません。

 

実際日本ではお金がなくても生活できます。貧困な国では違いますが、日本はそうじゃない。

日本という国には生活困窮者を救う義務があります。フリーターでも全然生きていけるし、

働けなくなってお金がない状態になったら生活保護を受ければいいと思っています。

 

しかし、日本人はお金がないと餓死するとなぜか思っている場合が多い。

 

お金の価値を絶対視させて支配を強めようとする権力者の洗脳にかかっているのと同じです。

 

お金がなくなって餓死した、というニュースを見たことがありません。

 

 

しかし、過労死や孤独死はたまに見かけます。

 

 

会社で無理に働くこと、一人でいることの方が死ぬリスクは格段に高いと思います。

 

 

 

具体的な意識

 

お金持ちになりたいという人は世の中にたくさんいると思います。

 

しかし、具体的にお金持ちとは何かを定義して動いている人は少数に感じます。

 

 

自分にとってのお金持ちとは、、どんな家で、どんな車に乗って、どこに住んで、何を食べて、趣味は何をして、どんなテレビでベットで、どんな服装で、、、、

 

これをもっと明確にしなければ、近づくことはできないと思います。

 

なんとなく生きているだけではそのまま終わってしまうという危機感を持たなきゃなと

 

 

人を動かすのは危機感だと思います。

 

 

 

全ての気持ちを具体化し、言語化して何かに記してそれと毎日対面すれば、そのゴールを達成するには何をすべきかが明確になると思います。

 

 

 

くら寿司に行ってきた

 

今日のお昼ご飯を食べに、くら寿司へ行ってきました。

 

くら寿司は受付から注文まで全て機械がしてくれます。(会計だけは人)

 

 

僕は今日、人が機械に操られているように見えました。

決してそれは悪いことではなく、効率化によって人を使わずとその代わりを機会がしてくれているのでどちらにとってもメリットはあります。

 

機会が示した番号の席へ座り、機会で注文をし、皿の枚数は自動でカウント、

さらには子供を楽しませてくれる「ビッくらポン」という5枚食べたら1回ガチャガチャを回せるシステムもある。

 

 

人とあまり関わりたくない人には、最高のシステムで、実際にも一人で来るお客さんの数もかなり増えている気がします。

 

しかし今日感じたことは、その会社がどのような意図を持って、そのシステムを使っているかを常に意識した方がいいなということです。

 

 

これからどんどん機械化が進んでいくということは、それだけ企業の持って行きたい方向へ顧客に

気づかれにくく誘導することができると感じています。

 

どんな些細なアプリでも最初は無料で、本当に必要なものは課金していかないと手に入らない。

しかし課金した人は、課金した実感もなく、そのアイテムをゲットしたという気持ちで一杯になると思います。

 

お金が目に見えなくなってきた(電子マネースマホ決済など)世の中になってきたからこそ、その企業の本当のやりたいことはなんなのかを常に考えようにしたいなと思いました。

 

 

 

周りの視線

 

なぜ働くのか。。。それを就職活動している時に自問自答する時がありました。

 

今働かさせていただいていアルバイトでも、フリーターの人はいくらでもいるし生活に不自由な感じも全くありません。

 

僕は日本という国で世間体を保つために就職活動していると気づきました。

 

 世の中の人も大半がなんとなく就職活動し、周りの目を見て働き、世間体を気にしてそろそろ婚期だろうと結婚していく、、、僕の周りは、結婚する前が一番楽しかったという人が多い。

 

別に周りの目を気にしなければ、どんな形でも行きていくことはできるのに。

 

もうこれからはその生き方は通用しなくなると思います。

 

なんとなくで働いている人はなんの専門性もないからです。その人たちの仕事は少しづつロボットにうばわれています。

 

 

自分の興味の持ったことを少しづつでもいいから掘り下げて、自分の価値を高めていかなければならないと最近強く感じています。

 

 

 

学生野球とこれから

高校野球、、、こう聞くと身につくものの1番目に思いつくことは、『忍耐力』『根性』『ガッツ』などが思いつく方が多いのではないでしょうか

 

確かに生半可なことでへこたれなくなる精神力はかなりつきます笑

僕も高校3年間寮生活を送っていたのでとても制約のある生活をしてきました(外出禁止、テレビ見れない、携帯ほとんど使えない、、、など)

 

 

しかしその能力が現在、そしてこれから求められるかというとそうではないような気がします。

ロボットは電源さえ入れておけば、いくらでも仕事をします。 そのような場合、人間はロボットに忍耐力で勝つことはできません。

 

ロボット無くて人間にあるもの、それはモチベーションです。

球児は甲子園という目標を持って練習に取り組みますが、決められたメニューを「やらされている」

場合がとても多い気がします。

 

少なくとも僕の場合は練習をやらされていました。常に受け身の姿勢です。

そしてそのツケは大学時代に回ってきました。ビジネスプランをチームで考える時、主体的に考えることができなかったのです。僕はそのできなかった経験を学生のうちにできたので良かったですが、それを経験せずに社会に出ていたらと思うとゾッとします笑

 

つまり野球だけで無く体育会系全般に感じることは「主体的に考え、行動する」能力が実はあまり高くないと感じます。 具体的な指示がないと行動に移せない場合が多い。

 

日本の教育全般にも感じることですが、日本の教育は、これを覚えなさいと言われ、覚えた人間がテストで高得点を叩き出し、評価されている気がします。

 

なぜ覚えなければいけないのかを教わらない、だから年を取るにつれてなぜこうなんだろうと思考することもない。

 

これからは覚えた知識は評価される時代ではないと感じます。コンピュータで調べれば一発でわかるから。

 

とにかく伝えたいことは、「常に主体的に考え、疑問を持ち続けること」は大切なんじゃないかなと感じます。

 

なぜ野球をしていてどうして甲子園に行きたいのか。これを答えられる学生はほとんんどいないのではないかなと感じています。

 

 

自己紹介

こんにちは!

僕は愛知県出身の22歳、学生です。

大学では経営学を専攻しており、ビジネスプランのコンテストなども何度か出場していました。

 

 

 

小学校〜高校まで野球に打ち込んできて、現在は中学生のチームでコーチとして活動しています。

 

 

 

またアルバイトはゴルフショップで働いており、今まで1000人以上にクラブ選びについて試打、計測などをしながらアドバイスしてきました。

 

 

簡単ですがこれくらいです。。。。。詳しいことはまたブログで話します。

 

この中で学んだこともこのブログで共有できたらなと思います!

 

よろしくです!!!